自由に生きる 2
生涯教育という言葉が最近、マスコミに目立つようになってきました。
1988年7月には文部省に生涯学習局ができました。
そのための法制化の準備も進められているようです。
またFM放送大学では、教育学者だと思われる人たちによって、たとえば「生涯教育がさらに教育格差を生む」とか、その年代にふさわしい「発達課題があってそれを乗り越えるのを援助せねば」とか・・・
「地域公民館の位置づけ」がどうだとかの、生涯教育に関する議論が盛んです。
私が今日の教育に強大な疑問を持っているのは、それが「人を道具として」の人間観の象徴になっていることでしたが・・・
ここでは、それはさておいて考えてみても、これら教育関係者の教育あるいは学習に関する考えかたに、あきれ返らざるをえません。
・・・・というのは、第一に、教育や学習の中心を、日々の人生とは別な場、つまり、集合教育の場としての学校のようなところで行うものだと、抜き難く思い込んでいるらしいからです。
第二に、したがって、教育するほうとされるほうに、つまり、たえず先生と生徒とに歴然と分かれているものだと考えているらしいからです。
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